初春に富士山を仰ぐ2013.01.16

 真っ白な新雪を抱いた美しい富士山。太古から神話や芸術作品のモチーフとして日本の文化を支えて来たこの山は、日本人の心のよりどころです。
  「富士山」という名前の由来には諸説あって、一番古い記述は奈良時代の常陸国風土記の「福慈」、万葉集では「不尽山」「不士能高嶺」「布二能嶺」。「富士」という字が初めて使われたのは平安時代初期の「続日本紀」といわれています。

  ちなみに日本最古の物語「竹取物語」は「不死」の山という表記でした。かぐや姫が月に戻る際、帝に不老不死の薬を残しましたが、帝は不老不死になるのを拒んで、家来に命じて日本一高い山の上でその薬を焼かせたというお話ですね。

 世界遺産を狙っている本家本元の富士山は一カ所ですが、大山、榛名山、羊蹄山など日本各地の富士山も、長い歴史の中、その土地の人々の暮しを泰然として見守ってきました。
  私の富士山のイメージは、子どもの頃、小学校の非常階段の踊り場の窓から真正面に見えた富士山です。特別美しかったのは雪や嵐の翌日。空気が澄んで湿度の 低い日。他の季節は遠くに小さく見えるだけなのに、この時期だけは大きな雪を被った美しい富士山の山頂が意外なほどの厳しさをたたえて大きな窓いっぱいに 現れて、そこにあるだけで胸に迫ったのを思い出します。

  ところで、以前、コラムで取り上げた葛飾北斎の通称「赤富士」(正式には「凱風快晴」)も、一般的には富士山の夕焼けと思われていますが、もともと北斎が描いた「凱風快晴」はあんなに赤黒くありませんでした。

  浮世絵の世界では、最初に200枚刷ったものを初刷りといいます。「凱風快晴」の初刷りはスイスのコレクターが持っていますが、日本の美術館に展示されて いる作品とはまるで別物だそうです。私が見たギメ美術館所蔵の作品も初刷りに近く、富士山の地肌がずっと薄いダイダイ色で透明感のあるとても繊細な絵でし た。

  初刷りのときは北斎と版元と刷り師が立ち合いますから、北斎が指示した色はこちらの色が正解のはず。おそらく、日本の美術館に残っている作品は版を重ねるうちに版木が汚れてしまったか、よく売れるようにわざと濃い色を使ってコントラストを強くしたのでしょう。

  こういうことを踏まえて、当社のホームページの富士小山工場の朝7時頃の画像を見ていただくと、北斎が「凱風快晴」で挑んだ明け方の富士山の姿を確かめられます。
朝日が昇る前に空が白白としてきて、富士山の山肌を広大なキャンバスにしてやがて日の光が動いていく、朝日の昇る前の一瞬。天才画家北斎が挑んだ、日本の誇る美しい雄大な光景です。

  かつて、パリのマルモッタン美術館でモネの「睡蓮」が逆さまに展示してあったのに気づいたのは、日本人の科学者でした。新しいことを追うだけでなく、長い 間の思い込みを見直し検証することで、これまでの常識がひっくり返ることがあるのは、歯科の世界も芸術の世界も同じでしょう。
皆様のさらなるご多幸とご発展をお祈り申し上げます。

コラムニスト 鈴木 百合子