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コラムいろいろ

行く河の流れは絶えずして

2006.12.22

  みなさんは「満州国」について、どのようなことをご存知ですか?今年8月に藤原書店から出版された「ハルビンの歌が聞こえる」は、実際にそこで暮らした人の貴重な証言です。

  昭和10年、20歳の加藤淑子さん(※1)は、ハルビン学院(※2)を卒業して満鉄(※3)の社員となった新婚のご主人とともに、ハルビンの地を踏みました。当時のハルビンは帝政ロシアがシベリア鉄道建設の拠点として松花江(スンガリー)に築いた、東方のパリと呼ばれる美しい街。

  ソ連の革命政権から逃れてきた亡命貴族の家庭に間借りして、彼らの生活様式を学びながら新生活が始まりました。淑子さんは、祖国を失って先の見えない日々でさえ誇り高く節度を持って暮す彼らを尊敬し、彼らにも温かく受入れられて、自由で美しい欧風文化を享受します。

  当時の満鉄は満州里、新京、ハルビンを通ってオホーツク海に至る広範な地域を占有し、市街地や林から製鉄所にいたるまで大きな権限を持つ国策会社でした。辺境の地だったその場所を、僅か100年ほどの間に清国、帝政ロシア、ソ連、日本、中華民国、中華人民共和国というさまざまな国が主権を主張して奪い合いました。

  満鉄社員達の夢は、ユーラシア大陸を横断して、いつかフランスに乗り入れることだったそうです。満鉄が存続したのはわずか16年間でしたが、終戦時には初期計画の3分の1が完了、技術的にも「あじあ号」は時速110キロ(当時、世界一)で、大陸横断鉄道建設も夢物語ではなかったのです。満州里(マンチューリ)から先はすでにモスクワに通じていました。

  さまざまな思惑や希望を抱いて、国を越えて集まり、生き抜いてきた人々。淑子さんはそんな国際人の一人として日本の領有する多民族都市で11年間暮しました。日本の敗戦後も、しょっちゅう略奪に来るソ連兵をやんわり追い返したり、洋裁の腕を活かしてユダヤ人相手のお針子になって自立したりと、悲壮感のない逞しさに本を読みながら笑みこぼれます。平常心を失わない的確な判断力や、逆転する状況にすぐ馴染んで日々の喜びを発見する明るさは、国際人の資格の一つなのでしょう。

  「大切なのは“どの国の人か”ではなく、“どんな人か”ですよ。ちゃんと躾けられた気品ある人なら、おかしなことはしません」。淑子さんを守ったのは、おそらく松花江のような大きな生命の河の流れ。

  今年は改正教育基本法の成立・防衛省の昇格・アジア圏の共存を謳った経済成長戦略の策定と、大転換となる政策がいくつも決まりました。さて、私たちはここから、どこに進むべきなのでしょうか。




※1  戦後、芸能プロダクションを経営する夫とともに、亡命ロシア人の職場として、本格的なロシア料理とロシア音楽を楽しめる店を開店。娘の幸子さんと登紀子さんが南青山に開いた「テアトロ・スンガリー」は年末に閉鎖するため、28・29・30日にファイナルパーティー
※2  哈爾濱学院。1920年に、ロシア語およびロシア地域の研究、教育を目的にして、旧満州につくられた国立大学。外務省の日露協会学校を前身とする
※3  南満州鉄道株式会社の略称。明治39年(1906年)設立、昭和20年(1945年)の第二次世界大戦の終結まで中国東北部に存在した日本の国策会社。帝政ロシアが中国との条約で奪った治外法権の飛び地(鉄道施設予定地と鉄道附属地)をソ連から買収した

 コラムニスト 鈴木 百合子

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